・電車(夕方)

竹之内芳隆(たけのうちよしたか)(23)と雛(ひな)(22)、誰もいない電車の中で手を握って寄り添って座っている
しかし二人とも外を見ていて何も話さない
芳隆の見ている窓の外には実った稲穂が一面に広がっていて風に揺られている

芳隆M「異様なことがそうでなくなった時、何が正常か分からなくなる。
    それが正しいかどうか判断するのは、一体誰で、その人が俺達を救ってくれるかどうかなんて分からない。
    世界の殆どの人が敵になることなんて分かっている。
    触れている手がぴくりとも動かないことに、安心感さえ抱ける」

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・雛宅、廊下(回想)

震える声を出す芳隆

芳隆 「お前…」

上半身裸でシャツを持ってぼーっと立っている雛
雛、芳隆の声にゆっくりとこちらを向く

雛  「芳隆……」
芳隆 「な、何。何やって…なんで…お前、なんでこんな…っ」
雛  「芳隆…?」

芳隆、振るえながらも声を荒げる

芳隆 「何やってたんだっ!」

芳隆M「何をしていたかなんて、分かっていたから声が震える。
    それを問いただしてどうしようと思っていたかなんか……。
    否定して欲しかったんだろうか」

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・居酒屋(夜)(回想)

大学の飲み会の途中、ビールを飲んでいる芳隆

友達A「竹之内さー、この間の女の子どうなったん」
芳隆 「え?あー、別に、あのまま連絡取らなくなったよ」
友達A「マジで!?あの子かわいかったじゃん!もったいねー!」
芳隆 「そうか?」
友達A「そうだよもー」

芳隆、飲みながらも部屋の中を見回す

芳隆M「あ……」

芳隆、隅の方で一人で飲んでいる雛を見つける

芳隆M「あいつ、またあの顔してる…」

雛、グラスに口をつけながらも遠くを見つめている

芳隆M「それほど誰かと一緒にいるのは見たことが無かった。
    でもゼミの飲み会には必ず参加している。
    初めて見たときと同じ。遠くを見ながら何かを傍観しているような、表情」

芳隆、グラスを持って立ち上がる

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・居酒屋(夜)(回想)

雛の隣に座る芳隆

芳隆 「よう、元気?」

雛、芳隆の声に気が付いてこちらを見る

雛  「あ、竹之内…くん」

雛、言いながら微笑む

芳隆M「こいつ線細いな…、女と変わらねぇんじゃねぇの…?」

芳隆 「いいよ芳隆で」
雛  「そう?じゃあ、芳隆」

雛、また笑う

芳隆M「笑うと可愛いんだな」

雛  「僕は雛でいいよ」
芳隆 「そ?んじゃ雛な」
雛  「うん」
芳隆 「でー」

芳隆、言いながら雛が見ていた方を見る

芳隆 「何見てたんだ?」
雛  「ん?」
芳隆 「お前よくどっか見てんだろ。さっきも、ぼーっとしながらあっちの方を…」

雛、ふっと鼻で笑う

雛  「あぁ、あのね」
芳隆 「うん」

雛、その方を見る
見ると源(みなもと)が男と話している

雛  「あの子、僕のお母さんにそっくりなの」
芳隆 「え?源が?」
雛  「うん」
芳隆 「源って言ったらミスコンとかでも優勝してんじゃん。お前のかーちゃん美人なんだな」
雛  「ううん」
芳隆 「え?」

雛、また源の方をぼーっと見つめる

源  「やだぁ、もー」

源、言いながら男にくっつく

雛  「似てるよ」
芳隆 「?」

芳隆、わけも分からずに雛を見ている

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・居酒屋前(夜)(回想)

居酒屋の前に飲み会に参加していた人が出てきている

友達A「これから二次会だけどー──」

芳隆、そちらを見るが隣にいる雛を見る

芳隆 「お前どうすんの?」
雛  「ん?二次会?」
芳隆 「うん」
雛  「芳隆は?」
芳隆 「どーっすっかな」
雛  「僕、芳隆が行くんだったら行く」

雛、微笑む

芳隆 「……」

微笑む雛を見ているが、人の集まる方を一度見てまた雛に目線を戻す

芳隆 「いいとこ知ってんだけど、来る?」
雛  「うん」

雛、また笑う

芳隆M「こいつの微笑みには何か含むものを感じていた。今思えばそれは従順さだった」

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・バー(夜)(回想)

並んでカウンターに座っている芳隆と雛

雛  「ねぇ、芳隆の世界はどこ?」
芳隆 「はぁ?」
雛  「あー、あのね。範囲の話」
芳隆 「範囲?」
雛  「世界ってひとくくりにすると地球上ってことでしょ?そうじゃなくて、自分だけの世界」

芳隆、困りながら笑う

芳隆 「ごめん、それだけじゃ理解できない」
雛  「うーんとね、たとえば、小学生の頃、僕にとって自分の世界は家の中と
    学校の自分のクラスの中だけだったの」
芳隆 「ほう」
雛  「行動範囲が広くないでしょ?電車も一人で乗ったことなんてなかったし、
    僕の世界は家の中とクラスの中だけだった。
    それ以外に逃げるところなんて無かったから。外の世界を知らないの」
芳隆 「あー、何となく分かった。あれだろ?そのクラスの中で問題が起こっても、
    逃げるところが無いから自殺するんだーみたいな」
雛  「そうだね」
芳隆 「よくそういうの聞いてさ、思ったことはあるよ。
    世界はそこだけじゃないのになって。そういう意味か?」
雛  「そうそう」
芳隆 「なるほどね、じゃああれだ。俺の世界はー…」

芳隆、言いかけて言葉を止める

雛  「?」
芳隆 「そう聞かれるとなんかなぁ…」
雛  「何?」
芳隆 「俺も別にそれほど広い世界なんか持ってないよ。自分ちと、実家と、って実家も滅多に帰らないけど。
    あと学校だろ?あとなんか別に…」
雛  「そっか」
芳隆 「でもまぁ逃げようと思えばどこにだって逃げれるんだけどな。
    新しい世界なんか開けていけるだろ?」
雛  「うん…」

雛、グラスを見る

芳隆 「雛?」
雛  「世界の広げ方ってさ、出来る人と出来ない人がいると思うんだよね」
芳隆 「どうして?」
雛  「世界は皆共通でしょ?初めて行く場所にも必ず人はいる。従うか、従わせるか…」
芳隆 「どういう…」

雛、ふと芳隆を見る

雛  「僕ね、芳隆の居る場所ならきっと上手く生きていける気がするよ」
芳隆 「え?」

雛、芳隆の手に触れる

芳隆 「……」
雛  「芳隆はお母さんに似ていないから」
芳隆 「……」

芳隆、見つめる雛の頬にゆっくり手を伸ばすと軽くキスをする

雛  「……芳隆」

芳隆、雛の声にはっとすると手を離す

芳隆 「あー、ごめん。酔ってんだ俺」

雛、芳隆の手を握ると芳隆を見つめる

雛  「僕いやじゃないよ」
芳隆 「え…」

芳隆M「雛は罠にかかった餌だったのか、それとも俺が餌だったのか。
    囚われた餌は侵食され続けて、いつかは取り込まれる。
    従うか従わせるか。どっちだったんだ…」

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・雛のアパート(回想)

アパートの階段を上がってくる芳隆
部屋の前の廊下に差し掛かると雛の部屋の中から雛の母親が出てくる

芳隆M「ん?」

母親 「あら」

母親、芳隆に気が付く

母親 「芳隆…くん?」
芳隆 「え?えぇ…。あの…」

母親、笑う

母親 「やっぱり、さっきね、雛に話聞いてたのよ」
芳隆 「えーっと…、雛のー、お母さんですか?」
母親 「あら、ごめんなさい。先にそう言うべきよね。ごめんなさい」
芳隆 「いえ」

芳隆M「これが源に似てるって…?」

母親 「雛と仲良くしてくれてるみたいで、私驚いたの。
    だってねぇ、凄く楽しそうに話すんですもの。あの子に彼女でも出来たのかと思って」

芳隆M「雛の母親は源とは正反対の人間だった。雛と同じで線は細いが、
    声はか細く、言ってみれば幸薄く見える顔。
    これがあの源と同じ…?」

母親 「だけど安心したのよ。だって男の子だって言うんだもの。
    仲のいい友達が出来たのかーって。ほっとしたの」

芳隆M「見た目以上に喋る人だな…」

芳隆 「そうですか、仲良くさせてもらっています」
母親 「雛のことこれからもよろしくお願いします。ほら、あの子あまり話さない子でしょう?
    私心配で心配で。あの子のこと騙そうとする女の子だって沢山いるだろうし」
芳隆 「はぁ…」
母親 「あら」

母親、腕時計を見る

母親 「ごめんなさい。私これから用事があって、ごめんなさいね」
芳隆 「いえ」
母親 「あの子に悪い虫が付かない様に見ててあげてくださいね」
芳隆 「えぇ…」

芳隆、苦笑いをする

母親 「それじゃあ私はこれで」

母親、去っていく
隣を通るときにふと香水の香りが漂う

芳隆M「似合わない香水つけてんだな…」

芳隆、母親の後姿を見ていたが向き直って雛の家の方へ行く

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・雛宅(回想)

雛  「え?会ったの…?」

雛、お茶を入れながら言うが、少し気まずそうにする
芳隆、ソファに座っている

芳隆 「あぁ、なんかすっげー心配してたよ。お前のこと」
雛  「な、何か言ってた…?」
芳隆 「いや、なんか過保護というかなんというか。お前大事にされてんだな」
雛  「うん…、昔からそうなんだ…」

雛、芳隆の前にお茶を置くと隣に座る

芳隆 「でもまさか俺が悪い虫だなんて思わないよな?」

芳隆、笑いながら雛の頬に触れるとキスをする

雛  「うん」

雛、ふと微笑むとそのまま芳隆の首元にキスを落として行く

芳隆M「あ…あの香水の香り…」

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・街(回想)

芳隆と雛、歩いている
雛、どこか遠くを見ている

芳隆M「こいつといると時々あの顔を見た。どこか遠くを傍観している表情。
    二人でいる時も誰かを見ながらあの目をする」

芳隆 「……雛」

雛、芳隆を見る

雛  「ん?」

雛、微笑む

芳隆M「その先に何を見ているのか未だに分からない。その先を見ても俺には何も見えない。
    雛は何を見てあんなにも空虚な目をするのか」

芳隆 「いや、なんでもない」
雛  「芳隆?」

突然女に声をかけられる

女  「雛くん…?」
雛  「え?」
女  「やっぱりそうだ!」
雛  「あ、あぁ…久しぶり」

芳隆M「誰だ…?」

女  「ほんと久しぶり。元気だった?」
雛  「うん、元気だよ。君は?」
女  「元気元気っ。友達?」

女、芳隆を見る

雛  「う、うん」
女  「そうなんだ。初めまして」
芳隆 「初めまして」
雛  「あの…」

雛、言葉を遮ろうとするがそれを割って女が話す

女  「私ね、雛くんの元彼女」

女、笑う

芳隆 「へぇ」

芳隆、少し不機嫌になる
雛、俯く

女  「っていっても3ヶ月しか続かなかったんだけど」

女、相変わらず笑っている

芳隆 「そうなんだ」

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・街(回想)

芳隆と雛、歩いている
雛、少し俯いている
芳隆、少し棘のある言い方をする

芳隆 「そりゃ俺らがどういう関係かなんか他人からしてみれば分かんねぇよな」
雛  「あ、あの、でも…」
芳隆 「別に何も言わなくていい」
雛  「芳隆…」
芳隆 「お前は悪くもなんともないし」
雛  「……ごめんなさい」
芳隆 「謝るなよ」
雛  「……」
芳隆 「……」

黙ったまま歩く二人

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・芳隆宅(夜)(回想)

ベッドに寝転んで腕で顔を隠している芳隆

女  『私ね、雛くんの元彼女。っていっても3ヶ月しか続かなかったんだけど』

芳隆M「過去に嫉妬してなんの意味があるって言うんだよ。分かってる。分かってんだけど……」

芳隆 「あーもう…!」

芳隆、起き上がる

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・雛宅前(夜)(回想)

玄関が開くと雛、芳隆に驚く

雛  「芳隆…」
芳隆 「あの、えーと…ごめん」

雛、芳隆に微笑む

雛  「ううん」

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・雛宅(夜)(回想)

裸のままベッドに寝ている芳隆と雛

芳隆 「またお母さん来てたのか?」
雛  「え?」
芳隆 「香水。すげー臭う」
雛  「ご、ごめん…あの…」
芳隆 「いや、別に。いいじゃん、俺なんか全然会ってないしな。最後に会ったのいつだったか…」
雛  「うん…」

雛、芳隆に寄り添うとわき腹に顔を埋める

雛  「芳隆…」
芳隆 「ん?」
雛  「僕ずっと芳隆と一緒にいたい」
芳隆 「何急に」

芳隆、笑う

雛  「芳隆だけが僕の世界になって欲しい」
芳隆 「え…?」
雛  「芳隆…。好きだよ。芳隆だけが傍にいればいい…」
芳隆 「雛…」

芳隆、雛を抱きしめる

芳隆 「俺も好きだよ」

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・電車(夕方)

芳隆、雛の手を握りなおす

芳隆 「……」

相変わらず外を見ている二人

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・雛のアパート(夜)(回想)

芳隆、雛の家の前の廊下を歩いてくるとインターホンを押そうとする
すると中から声が聞こえる

母親 『んっ……はぁ…あっ…』

芳隆、押そうとした指を止める

芳隆 「……」
母親 『ひ…な…っ…んっあぁ、雛っ…』
芳隆 「……」
雛  『おか、あさんっ……んっ…』

芳隆、手をだらりと下ろす

芳隆M「空が、落ちた」

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・雛のアパート(夜)(回想)

芳隆、廊下の影に蹲って頭を抱え、息を荒げている

芳隆M「違う違う違う違う違う違う違う違う」

芳隆、悔しげに泣いている

芳隆 「ぅっ…ぐ、う……」

芳隆M「違う!そうじゃないって言ってくれ!」

雛  『あの子、僕のお母さんにそっくりなの』
雛  『芳隆はお母さんに似ていないから』
雛  『芳隆…。好きだよ。芳隆だけが傍にいればいい…』

芳隆M「違うって…言ってくれ…」

ドアが開く音が聞こえる
芳隆、顔を上げる

芳隆 「っ…」

階段を下りる音が聞こえてくる

芳隆 「……」

アパートの前を歩いていく雛の母親を見る

芳隆 「……」

呆然とする芳隆

芳隆M「なぁ、誰でもいいから。違うって、言ってくれ…」

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・雛宅、廊下(回想)

震える声を出す芳隆

芳隆 「お前…」

上半身裸でシャツを持ってぼーっと立っている雛
雛、芳隆の声にゆっくりとこちらを向く

雛  「芳隆……」
芳隆 「な、何。何やって…なんで…お前、なんでこんな…っ」
雛  「芳隆…?」

芳隆、振るえながらも声を荒げる

芳隆 「何やってたんだっ!」

雛、芳隆の声にはっとする

雛  「芳隆…」
芳隆 「なんで…なんであんな…おかしいだろッ!!」
雛  「芳隆…」

雛、不安そうな顔をしながら芳隆の方へ来る

芳隆 「来るなッ!!」
雛  「芳隆…ごめんなさい…違うの…違うんだ…」

芳隆M「望んだ言葉」

芳隆 「な、何が…!何が違うんだよ!意味が分からない!お前!なんであんな…!」

芳隆、言いながら後退る

雛  「違うんだ…芳隆…僕…ごめんなさい…」
芳隆 「ち、ちが、違うって言うんなら…違う…何が違うんだよ…!」

芳隆M「望んだはずなのに」

雛  「芳隆…逃げないで…どこにもいかないで…!傍にいてよ…」
芳隆 「なんで…だよ…俺なんかいなくても…お前、お前…親と…」

芳隆、目が泳ぐ

雛  「違う…違うんだ…僕はそうじゃなくて…芳隆が好きで…」

雛、芳隆の手に触れる
その瞬間、雛からあの香水の匂いがする

芳隆 「っ!!」

芳隆、雛を突き飛ばす

雛  「っ!…芳隆…」
芳隆 「触るなッ!お、お前…お前から匂いがするんだよ…っ…あの香水…っ…」
雛  「ごめんなさい…っ…違うの…お願い、信じて…もうしないからっ!」
芳隆 「もうしないなんかっ…信じられるかよ…!気持ち悪いっ!!」
雛  「よし…たか…」

芳隆、息を整えようとする

芳隆 「だったら…だったら今すぐあいつ殺して来いよ…」

芳隆、心なしか笑っている

芳隆 「信じて欲しいんなら…それくらいして来い…!!」
雛  「芳隆…」
芳隆 「もう…お前になんか触れらんねぇよ…」
雛  「……」

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・芳隆宅(夜中)(回想)

芳隆、ベッドの横に座り込んでいる
部屋には時計の音だけが響いている

芳隆 「……」

芳隆M「経験したことの無い憤り。知りえない状況。こんなことになるなんて思ってもみなかった。
    雛に今まで出会ったことの無い何かを感じていたのは、きっとこういうことだったのだと
    やっと気が付いて、だけど何をどうすればいいのかも、何が正しいのかも分からない。
    助けを求める相手もいない」

雛  『ねぇ、芳隆の世界はどこ?』

芳隆M「今のこの状況で、どこかに逃げることすら出来ない」

芳隆 『よくそういうの聞いてさ、思ったことはあるよ。世界はそこだけじゃないのになって』

芳隆M「俺の世界はここしか無かったのか──」

芳隆、手のひらを見る
震えている

芳隆 「……」

すると突然インターホンが鳴る

芳隆 「っ!」

玄関の方を見る芳隆
ドアの向こうから声が聞こえる

雛  『芳隆。開けて?』
芳隆 「雛…!」
雛  『芳隆、ごめんなさい』

芳隆、どもってしまい上手く話せない

芳隆 「あや、謝って…今更…っ」
雛  『でもね、あのね、約束、守ったよ』
芳隆 「約束…?」
雛  『うん。だから、ねぇ。開けて?』
芳隆 「……」

芳隆、ずるずると体を起こして立ち上がり、玄関の方へ行く

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・芳隆宅(夜中)(回想)

芳隆、玄関の扉の前で息を飲む

芳隆 「……」
雛  『芳隆』

芳隆、鍵をゆっくりと開けるとドアを開ける

雛  「芳隆」

雛、微笑んでいる

芳隆M「あの従順」

芳隆 「や、約束ってなんだ…」
雛  「これ」

雛、手にハンカチにくるんだ何かを持っている

芳隆 「なんだよ…それ…」

雛、相変わらず微笑んでいる

雛  「あのね、ちゃんと、殺してきたよ」
芳隆 「っ!!」

芳隆、ばっと雛を見る
雛、芳隆を見上げる

雛  「ほら、これ」

雛、ハンカチを広げると中から人差し指が出てくる

芳隆 「う、うわぁぁっ!!」

芳隆、後退る

雛  「芳隆…?」
芳隆 「な、何、何だよそれ…!何やって…お前っ!」
雛  「だ、だって…芳隆がやれって…それくらいしろって…」
芳隆 「っ!」

芳隆 『だったら…だったら今すぐあいつ殺して来いよ…』

芳隆 「そん…な…」
雛  「ねぇ、信じて。僕、ずっと芳隆の傍にいたいの…」

雛、縋るような目で芳隆を見ている

芳隆 「……」

芳隆、呆然とする

芳隆M「世界を塗り替える瞬間。それに気が付いたときはもう遅かった」

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・雛宅(夜中)(回想)

ベッドの前に立っている芳隆と雛
ベッドには母親が死んでおり、右手人差し指から血が流れている

芳隆 「……」
雛  「僕の世界はお母さんだけだった」
芳隆 「え…?」

雛、母親の遺体を見ながら静かな声で話し出す

雛  「子供のころからずっと、お母さんの世界にしか生きさせてもらえなかった」
芳隆 「……」
雛  「だけど芳隆は違う。お母さんもそのことに気が付かなかった。
    僕はやっと新しい世界に行けたんだ。もう僕には芳隆しかいない」
芳隆 「……」
雛  「ねぇ、芳隆」

雛、芳隆を見上げる

雛  「僕約束守ったよ」
芳隆 「……」

芳隆、雛を見る

雛  「芳隆…」

芳隆、雛の頬にゆっくりと触れるとキスをする

芳隆M「異様なことが、段々とそうでなくなる」

芳隆、その場に雛を押し倒す
そのまま行為を続ける二人
ベッドの上からぶら下がる母親の手が見える

芳隆 「雛…っ…」

芳隆M「取り込まれる。それは俺なのか、雛なのか。もう分からない」

雛  「んっ……あっ…」

芳隆M「ただ見える先が暗闇だけで。こいつの、雛の、従うべき相手が変わった、こと──」

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・雛宅(早朝)(回想)

玄関で手を繋いでいる二人

芳隆 「行こう、雛」
雛  「……」

雛、家の中を見ている

雛  「うん…」

そのまま出て行く二人

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・電車(夜)

相変わらず誰もいない車内で手を繋いで寄り添っている二人
芳隆、もう暗くなった外を見ている

芳隆 「雛…」
雛  「……」
芳隆 「なぁ…雛」

芳隆、雛の方を見る
すると芳隆の肩に倒れてくる雛

芳隆 「……」

芳隆M「暗闇をただ走り続けるこの電車が、どうか止まらないでくれないだろうか。
    取り込んだ世界が一人にならないように、誰にも踏み込ませないように。
    このまま走り続けてくれればいい」

駅が見えてくる

芳隆M「このまま目を覚まさないで」

電車が駅で止まる

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・駅(夜)

暗い駅の中、電車内の明かりだけが光っている

芳隆M「このまま二人だけの世界に…」

電車内で芳隆、雛の首を絞めている

芳隆M「俺に従順なままで」








おわり